築地は学問の街? <<築地さんぽ9月号>>

築地には、やたらと大学(学校法人)の発祥地があります。「魚河岸の町」として知られる今の姿からは想像がつきません。

慶応義塾発祥の記念碑。側には解体新書翻訳 を記念する蘭学事始の碑も建つ

慶応義塾発祥の記念碑。側には解体新書翻訳
を記念する蘭学事始の碑も建つ

築地の魚河岸は仮開設が1923年(大正12年)、正式開設が1935年(昭和10年)ですが、それ以前の築地は、江戸時代から続く本願寺と武家屋敷の町、そしてもうひとつの顔が、明治初年に出来た外国人居留地の街でした。

明治学院と青山学院の記念碑は、聖路加ガーデンの並びに建っている

明治学院と青山学院の記念碑は、聖路加ガーデンの並びに建っている

外国人居留地は、安政五カ国条約により国内に設けられることになった開港・開市場で、貿易商社が多数あった横浜が有名です。築地の居留地には主にキリスト教の教会堂が集まり、宣教師も居住したため、それに伴いミッションスクールが多くつくられました。立教や青山学院など多くのキリスト教系学校が築地に起源を持つのはこのためです。

明治学院の記念碑

明治学院の記念碑

また、現在の明石町には豊前中津藩の中屋敷がありました。藩医の前野良沢は江戸後期にこの地で「解体新書」の翻訳を完成させたため、蘭学起源の地ともされています。さらに後年、藩士の福沢諭吉が1858年(安政5年)に屋敷内で開いた蘭学塾は、後に慶応義塾となりました。少し毛色の変わったところでは工学院大学。創立当初は工手学校といい、産業の近代化をひた走る明治日本の「現場」を支える職人の養成を目的とする職業学校でした。

◇築地発祥の主な学校法人(暦年は創立年)
慶応義塾 1858年(安政5年)
女子学院 1870年(明治3年)
立教学院 1874年(明治7年)
明治学院 1877年(明治10年)※
青山学院 1877年(明治10年)※
工学院大学 1887年(明治20年)
女子聖学院 1905年(明治38年)

※明治学院と青山学院は複数の発祥地・創立年があるため、築地における創立年を記した。

 


築地さんぽ(本文用)