築地市場 <<築地さんぽ4月号>>

「市場」や「魚河岸」などの呼び名で親しまれている築地市場は、長い間、町のシンボルでした。水産部と青果部が開設されており、特に水産物の取扱高は世界でも最大級の規模。1日当たり約1952トン、約15億8400万円の水産物が取引され(2010年実績)、今では海外からも観光客が訪れる名所です。

築地市場の正門

築地市場の正門

江戸時代から日本橋にあった魚河岸が、築地に移転してきたのは1923年(大正12年)のこと。同年9月の関東大震災で日本橋の河岸が壊滅的被害を受けたためです。

同時に、京橋にあった大根河岸(青果市場)も移転してきました。当時、東京の人口は急増していましたが、魚河岸は独自の商慣行を持つ民間市場だったため公正な取引のルールもなく、衛生面の管理もおろそかになりがちでした。このため、東京市では築地の魚河岸を、公設の中央卸売市場として生まれ変わらせる計画でした。

場外から市場方面を望む

場外から市場方面を望む

しかし、結局、この計画が実現したのは12年も経った1935年(昭和10年)でした。公設市場では従来の商慣行が廃止されて新しいルールで運営されるため、古くからの既得権を失う問屋・仲買業者が猛反発し、東京市に補償を求めて大騒動になったからです。この問題の解決のため、公設築地市場の開場は12年間も店ざらしになったのです。

難産の末にやっと誕生した築地市場ですが、80年近くの時を経て、豊洲への移転問題でも大揉めに揉めたのはご存じの通りです。2016年11月に移転することが決まり、築地の「住人」としては市場がなくなるのは寂しい限りですが、現在の施設は築地市場開場当時から使っているという年代物ですから、仕方がないのかもしれません。

 

築地さんぽ(本文用)