築地本願寺 <<築地さんぽ1月号>>

築地本願寺は、正式には「浄土真宗本願寺派本願寺築地別院」と言います。 元々は浅草に坊を構えていましたが、明暦の大火(1657年)で焼失し、海岸を埋め立てたこの地に移ってきました。築地の街は、本願寺移転のために埋め立てられて出来たわけで、「地を築く」と書く地名の由来もここにあります。

現在の本堂は1934年に落成した古代インド様式の建物

現在の本堂は1934年に落成した古代インド様式の建物

この埋め立てに貢献したのが、対岸の佃島に住む漁師たちでした。彼らは、元々摂津国(大阪府)の出身で、大坂・石山本願寺の門徒衆でした。本能寺の変(1582年)のとき、信長の盟友だった家康は難を逃れるため、遊覧先の堺から領国の三河(愛知県)まで急いで帰国しました。このとき、摂津・佃村の漁師たちが舟を出し、また保存食の佃煮を献上して家康一行を助けたのです。

広重「名所江戸百景」より「築地門跡」。当時の和風の本堂が描かれている

広重「名所江戸百景」より「築地門跡」。当時の和風の本堂が描かれている

これが縁で、後年、家康は佃村の漁師たちを江戸に呼び寄せ、隅田川の河口に「佃島」を築いて、そこに住まわせました。やがて、彼らの子孫が尽力して築地を埋め立て、本願寺の移転地として寄進したのです。 当時の築地には、まだ魚河岸はありません(1935年=昭和10年=に日本橋から正式に移転)でしたが、築地の街ができた当初から「魚」に縁があったということですね。

築地さんぽ(本文用)