祝20歳! つば九郎は勝利を呼ぶツバメ…!?

2014年4月9日にヤクルトスワローズの人気球団マスコット「つば九郎」が、20周年を迎えた。勝って誕生日を祝いたいチームは、敵地ナゴヤドームで中日と対戦。序盤に幸先よく2点を先制するも、先発の新人・秋吉が打ち込まれ、つば九郎の二十歳の誕生日を白星で祝うことはできなかった。

しかし、そこは人気者のつば九郎。同じくチームマスコットを務める中日ドアラから「ドアラ人形」をプレゼントされたり、スタンドの観客から祝福を受けたりするなど、皆から愛される存在となっている。つば九郎と言えば、初登場となった1994年4月9日の阪神戦から続く、本拠地での連続出場記録を6日に1400試合まで伸ばしたばかり。今や球界の人気マスコットの地位を不動のものとしたつば九郎だが、知られざるその名付け親からブレークのきっかけとなった出来事、そして実は勝利を呼ぶマスコットだった…!? というデータまで、知られざるつば九郎の裏側に迫ってみたい。

「つば九郎」とは、一般公募から当時9歳だった平沢尚志さんの案が採用され誕生した名前で、「ツバメ」のマスコットとして1994年4月9日にデビューを遂げた。12球団のメーンマスコットとしては、唯一ユニホームを着用しておらず、頭に着用するヘルメット以外、何も身に着けていない。また、その丸々した体型から「ペンギン」と間違えられることも多々あり、球団マスコットとして初めてFA宣言した際には、「ペンギンと間違えられたら」が年俸の減俸対象項目として盛り込まれるなど注目の的だ。自由奔放な性格で、CDデビューを果たしたり自身のブログを持つなど、そのオリジナリティー溢れる行動は、球団の広報活動の一端も担っている。

<表1>

<表1>

表1にあるように、94年のデビュー以降、いきなり2年目の95年にリーグ優勝を経験。これまで3度日本一に立ち会うなど、輝かしい経歴を持つ、つば九郎だが、一躍その名を世間に知らしめたのは、誕生から7年目の2000年のこと。4月末からチームは8連勝を飾ったが、きっかけは2連勝目となった巨人との試合中に起きた。小さな「つば九郎人形」が、スタンドからベンチの前に偶然落ちてきたのだ。それを拾った選手が何気なくベンチの手すりに飾ったことを発端として、チームは巨人、広島相手に2カード連続で3連戦3連勝。結局は8連勝まで到達し、「連勝を呼ぶマスコット」としてテレビで取り上げられることとなった。以降、球団に多数の問い合わせが寄せられるなど大反響で、「つば九郎」の名は世間に広まっていったのだった。

そもそも、ベンチ前に落ちた「つば九郎人形」が何だったかと言うと、応援メガホンを叩くたび音を出すために、メガホンの中に入っていた人形ではないかと言われている。「落下」と「連勝」という2つの偶然が重なったとは言え、「必勝グッズ」として売り出すことを考えた関係者がいたほどだった。残念なことに、その後失速し4位でシーズンを終了したこともあり、その年には「必勝グッズ」とならなかったわけだが、つば九郎が球団マスコットに就任以来の成績を振り返って見ると、その存在は既に「必勝マスコット」だったと言っても過言ではない。

<表2>

<表2>

それでは、再び表1をご覧いただきたい。94年の開幕戦登場以来、連続出場記録を更新中のホームでは勝率5割を切ったことが3回しかないのに対し、敵地アウェーでは14回も5割を切っている。元々、どの球団もホームで強い傾向があるプロ野球ではあるが、ヤクルトもその通りの結果となっている。しかし、注目していただきたいのは表2に示したように、つば九郎が「誕生前」と「誕生後」のホームゲームでの成績比較だ。こちらをご覧いただければ一目瞭然であるが、「誕生後」の勝率が格段に上昇しているのが分かる。合計試合数が違うとは言え、「誕生前」の32年間で勝率5割未満の年が21回あったのに対し、「誕生後」は20年間でたった3回だけと、目に見えて減少している。その裏には、90年に監督就任した名将・野村克也氏が行ったデータ重視の野球や、それを引き継いだ若松勉監督のチーム力全体の底上げなどが功を奏したことは言うまでもない。しかし、そこには微力ながらも選手とファンを一体化させ、チーム全体を盛り上げる「ツバメの苦労」もあったのではないだろうか。スワローズ並びに球界全体を盛り上げ続けるつば九郎には、マスコット史上初となる2000試合連続出場をぜひとも達成してもらいたい。