ラテ欄の歴史 ~Caféラテ1杯目~

ここは東京の郊外、築地村の喫茶店『Caféラテ』。

その名の通り、おいしいカフェラテが売り物です。

カランコロン♪

近所に住む女子大生のテレ美ちゃんが、今日も学校帰りにやって来ました。

「マスター、こんばんは。カフェラテくださいな」

「やぁ、いらっしゃい、テレ美ちゃん」

「よう、テレ美ちゃん、お帰りぃ」

「ラジ男くん、バイトおちかれ~。今日から10月、新しいドラマ始まるね」

「テレ美ちゃんはテレビ好きだなぁ」

「へへ、今日は初回だから2時間特番なんだよ」

「へぇ、誰が出てるの?」

「えーと…、マスター、新聞貸して」

『Caféラテ』のもう1つの売りは、マスターの雑学。

特に新聞のテレビ欄にまつわる話は、どれもこれも知っているようで、その実、そうだったのかと感心することしきりなのです。

「そうだ、マスター。テレ美ちゃんにこの前の話、してあげてよ」

「どの話だい? ラジ男くん」

「ラテ欄ができた当時のこと」

新聞でおなじみのラテ欄ですが、その起源は読売新聞といわれています。

マスターの話に耳を傾けてみましょう。

「テレ美ちゃんは、放送記念日って知ってるかな?」

「放送記念日?」

「NHKがラジオ放送を開始した1925年3月22日を記念して、1943年に作られたんだよ」

「JOAK、こちらは東京放送局であります、って始まったんだよね」

「そうだよ、ラジ男くん。3カ月遅れて開局した大阪放送局のコールサインがJOBK」

「知ってる。だから、NHKの東京制作番組をAK発、大阪をBK発って言うんでしょ」

「さすがラジ男くん。よく覚えていたね」

「マスター、それがラテ欄とどういう関係があるの?」

「ごめんごめん、テレ美ちゃん。話がそれちゃったけど、ラジオ放送開始が関係しているんだよ」

どうやら、軌道修正。ラテ欄の歴史についてマスターが語り始めました。

「NHKがラジオ放送を始めた年の11月25日、読売新聞がよみうりラジオ版としてラジオ欄を新設したんだ。今とは違って、番組内容を縦書きで掲載したんだけど、それがラテ欄の始まりっていわれている」

「えぇ!? 縦書きだったの?」

「最初はね。一般の記事と同じように扱っていたみたい。でも、民放各社がラジオ局を立ち上げると、今風の横書きのタイムテーブル形式になったんだよ」

「そうかぁ!! 何局も載せるには一覧できる形の方が読者に親切だもんね、マスター」

遅れること28年、1953年の2月1日にNHKがテレビ放送を開始し、続々と民放テレビ局が開局されました。当時はラジオ欄が大きく掲載され、テレビ欄は現在とは真逆の小さい扱いでした。

家庭にテレビが普及し、三種の神器と呼ばれるころには、現在のようにテレビ欄がメインとなっていきました。

ちなみに、新聞の最終面を最初にラテ欄としたのは、しんぶん赤旗といわれています。

「ところでマスター、何でラテ欄って言うの?」

「それはね、ラジ男くん。ラジオが先でテレビが後だったせいなんだ。ラジオ欄がラジオ・テレビ欄となり、略してラテ欄と呼ばれるようになったというわけ」

「ナットク!!」

caferate