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マートン、打点量産の秘密

<表1>

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阪神のマートンが開幕からハイペースで打点を積み重ねている。5日のヤクルト戦では1試合7打点、11、12日の巨人戦では2試合連続で3ランホームランを記録するなど、打点は20日の時点で早くも29に達した。開幕直後は投手陣の不調もあり調子の上がらなかったチームも、マートンの打棒とともに勝利を重ね現在貯金5で2位につけている。

この打点量産がいかにすごいかを示したのが表1。2004年以降のプロ野球で、マートンと同じ21試合に出場した時点での打点数のランキングとなっている。マートンをしのぐ30打点を記録したのは2004年の阿部(巨人)だ。この年の阿部は開幕から歴史に残る猛打をみせ、当時のプロ野球タイ記録となる月間16本塁打を達成、打点も月間記録としては3位となる35を記録した。また2009年に開幕からの7試合で打率.607、ホームラン7本という空前のスタートダッシュをみせた金本(阪神)は28打点。開幕からの猛打としてプロ野球ファンの間でも語られることの多いこの両者と肩を並べているマートンの活躍がいかに歴史的なのかがお分かりいただけるかと思う。

なぜここまで打点を稼げるのか?4割近い打率や、4割を超える得点圏打率というわかりやすい要素はもちろん、もうすこし細かい事実を検証してみると阪神打線の”絶妙のつながり”が見えてきた。

<表2>

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まずは表2をご覧いただきたい。セ・リーグ6球団の1番打者から4番打者の出塁率を比較したものだ。打高投低という今シーズンの傾向があるとはいえ、1番と3、4番が4割超、2番打者も3割7分2厘と非常に高水準だ。3番の鳥谷は毎年安定して高い出塁率を誇っているが、西岡の離脱後1番を打つ上本の健闘、そして当初は”打撃が粗い”という評価も多かった4番のゴメスまでもが4割を超える出塁率を記録し、非常に多くの走者がマートンの前にいる状況が作り上げられている。

<表3>

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それを示すのが表3となる。これは打席に入った際に何人の走者がいたかをランキングしたものだ。マートンの場合、ここまでで両リーグ通じて2位となる85人の走者がおり、この状況で4割近い打率を残すことで打点が飛躍的に増えたのだ。打席での走者数は打点にとって非常に重要で、例えばマートンに近い打率と得点圏打率、本塁打(.391、.412、6本)を記録している広島のエルドレッドの場合、走者数がマートンの約半分の44人しかいないため打点も14と半分に満たない数字となっている。打点というと得点圏打率に注目しがちだが、本当に重要なことは“前の打者の出塁”なのだ。

さらに阪神打線を分析すると意外な要素があった。表4はマートンが29打点目を記録した4月12日時点での阪神上位打線の打撃成績だ。この時点で4人(上本、大和、鳥谷、ゴメス)のホームランはわずか1。さらに3番を打つ鳥谷は打点もわずか2、4番のゴメスも15打点を稼いではいたが、2打点以上の適時打は2本しか打っていなかった。一見すると負の要素にみえるこの数字がマートンの打点量産には好結果を生んだのだ。前述のとおりこの4人の出塁率は高いため、多くの走者が塁をにぎわす状況が生まれやすい。しかしホームランや、走者を一掃するタイムリーはあまり生まれなかったためチャンスの多くはマートンの前で引き継がれ、拡大されたのだ。この打線の流れによって生まれたチャンスと好調な打撃がかみ合ったことでマートンが多くの打点を記録することになったといえるだろう。

<表4>

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マートンがこのままのペースで打点を増やせば不滅の日本記録ともいわれる小鶴(松竹)の161打点を上回ることも可能だ。13日の巨人戦以降は打点がなく、安打も5本と自身の調子は下降傾向とはいえ、前を打つ鳥谷、ゴメスはますます調子を上げており、1番の上本も好調を維持している。このまま上位の4人が出塁数を維持し、願わくば?ホームランをあまり打たないでいてくれれば秋には日本記録に挑戦するマートンの姿が見られるのではないだろうか。

祝20歳! つば九郎は勝利を呼ぶツバメ…!?

2014年4月9日にヤクルトスワローズの人気球団マスコット「つば九郎」が、20周年を迎えた。勝って誕生日を祝いたいチームは、敵地ナゴヤドームで中日と対戦。序盤に幸先よく2点を先制するも、先発の新人・秋吉が打ち込まれ、つば九郎の二十歳の誕生日を白星で祝うことはできなかった。

しかし、そこは人気者のつば九郎。同じくチームマスコットを務める中日ドアラから「ドアラ人形」をプレゼントされたり、スタンドの観客から祝福を受けたりするなど、皆から愛される存在となっている。つば九郎と言えば、初登場となった1994年4月9日の阪神戦から続く、本拠地での連続出場記録を6日に1400試合まで伸ばしたばかり。今や球界の人気マスコットの地位を不動のものとしたつば九郎だが、知られざるその名付け親からブレークのきっかけとなった出来事、そして実は勝利を呼ぶマスコットだった…!? というデータまで、知られざるつば九郎の裏側に迫ってみたい。

「つば九郎」とは、一般公募から当時9歳だった平沢尚志さんの案が採用され誕生した名前で、「ツバメ」のマスコットとして1994年4月9日にデビューを遂げた。12球団のメーンマスコットとしては、唯一ユニホームを着用しておらず、頭に着用するヘルメット以外、何も身に着けていない。また、その丸々した体型から「ペンギン」と間違えられることも多々あり、球団マスコットとして初めてFA宣言した際には、「ペンギンと間違えられたら」が年俸の減俸対象項目として盛り込まれるなど注目の的だ。自由奔放な性格で、CDデビューを果たしたり自身のブログを持つなど、そのオリジナリティー溢れる行動は、球団の広報活動の一端も担っている。

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表1にあるように、94年のデビュー以降、いきなり2年目の95年にリーグ優勝を経験。これまで3度日本一に立ち会うなど、輝かしい経歴を持つ、つば九郎だが、一躍その名を世間に知らしめたのは、誕生から7年目の2000年のこと。4月末からチームは8連勝を飾ったが、きっかけは2連勝目となった巨人との試合中に起きた。小さな「つば九郎人形」が、スタンドからベンチの前に偶然落ちてきたのだ。それを拾った選手が何気なくベンチの手すりに飾ったことを発端として、チームは巨人、広島相手に2カード連続で3連戦3連勝。結局は8連勝まで到達し、「連勝を呼ぶマスコット」としてテレビで取り上げられることとなった。以降、球団に多数の問い合わせが寄せられるなど大反響で、「つば九郎」の名は世間に広まっていったのだった。

そもそも、ベンチ前に落ちた「つば九郎人形」が何だったかと言うと、応援メガホンを叩くたび音を出すために、メガホンの中に入っていた人形ではないかと言われている。「落下」と「連勝」という2つの偶然が重なったとは言え、「必勝グッズ」として売り出すことを考えた関係者がいたほどだった。残念なことに、その後失速し4位でシーズンを終了したこともあり、その年には「必勝グッズ」とならなかったわけだが、つば九郎が球団マスコットに就任以来の成績を振り返って見ると、その存在は既に「必勝マスコット」だったと言っても過言ではない。

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それでは、再び表1をご覧いただきたい。94年の開幕戦登場以来、連続出場記録を更新中のホームでは勝率5割を切ったことが3回しかないのに対し、敵地アウェーでは14回も5割を切っている。元々、どの球団もホームで強い傾向があるプロ野球ではあるが、ヤクルトもその通りの結果となっている。しかし、注目していただきたいのは表2に示したように、つば九郎が「誕生前」と「誕生後」のホームゲームでの成績比較だ。こちらをご覧いただければ一目瞭然であるが、「誕生後」の勝率が格段に上昇しているのが分かる。合計試合数が違うとは言え、「誕生前」の32年間で勝率5割未満の年が21回あったのに対し、「誕生後」は20年間でたった3回だけと、目に見えて減少している。その裏には、90年に監督就任した名将・野村克也氏が行ったデータ重視の野球や、それを引き継いだ若松勉監督のチーム力全体の底上げなどが功を奏したことは言うまでもない。しかし、そこには微力ながらも選手とファンを一体化させ、チーム全体を盛り上げる「ツバメの苦労」もあったのではないだろうか。スワローズ並びに球界全体を盛り上げ続けるつば九郎には、マスコット史上初となる2000試合連続出場をぜひとも達成してもらいたい。

ホームランが倍増、新統一球は「飛ぶボール」?

いよいよスタートした2014年のプロ野球、巨人が開幕5試合で77安打というプロ野球記録を樹立、その巨人に開幕戦で敗れた阪神はエースの能見が開幕投手としての最多失点記録(10失点)を喫するなど開幕4戦中3戦で2ケタ失点。そのほかにも開幕から一週間で昨年の倍にあたる11投手が5失点以上を記録したり、2ケタ得点を挙げたチームが6チームも生まれるなどロースコアが当たり前だった旧統一球の時代はもちろん、昨シーズンと比べても様相の一変した試合が繰り広げられている。いったい何が起きているのか、検証を行った。

<表1>

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まずは、表1をご覧いただきたい。これは開幕から2カードが終了した時点の打撃内容を昨年と今年とで比較したものである。目立つのは本塁打の増加で、28本から53本とほぼ倍増している。安打、打率、得点の増加はほぼこれに伴うものといっていいだろう。スタンドインする打球が増えた分、安打も得点も増える。簡単な理屈である。ところがその一方で投手の実力が最も反映するといわれる三振、四球の数にほとんど変化はない。本塁打増加は投手の実力低下ではなくほかの原因がありそうだ。

ここで考えられるのが昨シーズン中に明らかになった統一球の仕様変更だ。一大騒動となったこの問題、仕様の変更は昨シーズンの開幕戦から行われていたのであるが、その事実は選手に公表されず、また調整期間であるオープン戦では旧統一球が使用されていた。事実が明るみにでたのは6月11日、飛ばないボールに適応しようとしていたバッターにとってはまさに青天の霹靂であり、すぐに対応ができた選手は少なかったと考えられる。 そして迎えた今シーズン、各打者がオフの間からボールの変更に対する対応を進めたことは想像に難くない。「もう飛ばないボールではない」という意識が広まり、バッティングスタイルを変えた打者が増えた結果が開幕からの本塁打増加につながっているのではないだろうか。

では新統一球は「飛ぶボール」なのか。仕様の変更とともにバレンティンの本塁打記録が生まれたこともあり、根強くささやかれるこの問題について考えてみたい。

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表2は2004年以降の本塁打数の推移を表したものである。2004年はここ10年で最多の本塁打が記録された。東京ドームでは1試合あたり3.43本の本塁打が記録され、3割打者が36人生まれるなど記録的な「打高投低」シーズンだった。近年言われる「飛ぶボール」疑惑が生まれたシーズンともいえ、翌2005年からはミズノ社の低反発球が導入されたことで極端な打高傾向は終息に向かった。その後加藤前コミッショナーの発案で統一球が導入される。1年目の2011年は開幕直後こそ前年と変わらない本塁打ペースだったものの、結果的には前年から4割減と記録的な本塁打減少が記録された。旧統一球で行われた2011、2012シーズンがいかに特異なものであるかは一目でお分かりいただけると思う。

そして2013年、統一球の仕様は変更され本塁打の数は回復。その傾向は今シーズンに入り加速し、昨年を大きく上回るペースで本塁打が記録されている。しかし、ここまでのペースである1試合あたり1.65本という本塁打発生率(年間換算で約1400本)は、毎年安定した本塁打数で推移していた2006-10年と比較して若干すくない程度、飛ぶボール全盛だった2004年とは比べ物にならない数値であり、「飛ぶボール」とは言えない水準である。

球団ごとに使用球が異なることで生まれた「飛ぶボール」問題。その解消のために行われた統一球の導入は3年間の紆余曲折を経て、ようやく当初の理想とされた状態に落ち着きつつあるといえるだろう。